父ふたり

家族
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戸籍だけの父

なつみが、3人のこどものなかで自分ひとり父の子ではないと知ったのは、小学6年の文化祭の日だった。

なつみは、その年の文化祭で、最終学年の記念に6年生が毎年上演することになっている劇の準主役に選ばれた。

6年生は1組から3組まで総数100人ほどで、恒例の劇に出演できるのはその他大勢の役まで含めても30人余り。
その準主役に選ばれたのだったが、なつみは母に伝えただけだった。

母は喜んでくれたが、それを夕食の席で話題にすることはなかった。

ただ、放課後、練習のために連日遅くなっていたから、家族はみな知っていたのかもしれない。

そして、文化祭が終わった当日の夕食の席で、四年生だった弟の大輝は、クラスメートの注目を浴びてまいあがり、興奮の覚めない声でいったのだ。

「あれ、ぼくの姉なんだ、っていったらさ、みんな、ホントかッ!てさ。おどろいてやんの」

母はうなずいたが、父は無言でテレビの画面に視線を向けていた。

高校1年だった姉の萌は、押し黙って食事をつづけていた。

気まずい空気になっていたが、当の大輝は気づかず、しばらく、なつみの舞台を見たクラスメートの反応について話しつづけた。

 

「なつみさ~、ほんとに女優になったらいいのにな~」

大輝が、むじゃきにいったとき、萌はつと立ち上がり、自分の食器を流しに運びながら、びしりといった。

「大輝は知らないんだよね。なつみはね、わたしや大輝とちがって、父さんの子じゃないんだよ」
押し殺した声に、憎悪がこもっていた。

大輝は、びっくりして黙った。

それから、「なつみがパパの子じゃないって、どういうこと?!」
大声で訊いたが、萌からも、父、母からも返事はなかった。

なつみもおどろいたが、いっぽうで、(ああそうだったのか)ともおもっていた。

ずっと感じていた違和感の理由はこれだったのだと。

 

なにかがおかしい。

ものごころついたころからそう思っていた。

父の、姉や弟に比べ自分に対する無関心さ。母の態度。

姉の自分にむける視線の奥にあるなにかなどが、なつみをいつも落ちつかない気もちにした。

父の無関心さはとにかく、姉の冷ややかさは、姉妹の間によくある嫉妬心からとも思えたが、なつみにはもっと別の理由があるような気がしていたのだ。

その理由が、このときはっきりしたのだ。

 

でも、自分だけが父の子ではないって、いったいどういうことなんだろう…。

あらたな疑問が胸なつみの胸に、重くひろがった。

父も母も、おしだまっていた。

数日後、母は、大輝がかばんを放り出して遊びにでかけ、萌が学校から帰ってくる前の時間に、なつみに夕飯の支度を手伝わせながら、なつみだけ父親がちがう事情を、淡々と話した。

萌が3歳の時、父が外に女を作り、しばらく帰らなかったこと。

仕送りがなかったので、母は生活のために保険の外交をはじめ、その時の客が同情を寄せてくれ、その男との間になつみができたこと。

なつみが1歳になったころ、父が帰ってきたこと___。

はなしはそれだけだった。

たずねても、実父の名も、何を生業にしているのかも、住んでいる場所も、母は教えてくれなかった。

「あんたはね、戸籍上はお父さんの子にしてもらったの。だから、あんたの父親は、古沢博なの。

余計なことしたら、あんただけじゃない、萌や大輝だって困るんだからね」

なつみが聞く前に、そうくぎを刺して、黙らせた。

母は、話し始めからおわりまで、なつみと視線を合わせなかった。

 

実父探し 1

萌と大輝の父の実家は千葉県の海に近い町で、両親は亡くなっていたが、長兄が家を継いで住んでいたので、毎年、夏になると家族で1週間ほど泊まりに行くのが習わしだった。

なつみは、自分が父の実子でないと知る前から、父の実家では、なんとなく居心地の悪さを感じていたのだったが、

実子でないことが秘密でなくなってからは、
長兄の二人の子どもらも、萌や大輝にむきあうときとことなり、なつみにはあからさまによそよそしくなったようにおもえた。

 

たのしくもない家族旅行に行きたくなくて、中学2年のその夏、なつみは体調不良を理由に、ひとり家に残った。

早朝4時過ぎに出発した家族を見送ると、家の中はしんと静かになった。

なつみは解放感をおぼえながら、この1週間をどう過ごそうかとかんがえた。

 

きのうまでは、ひとりになったら地域の図書館にこもってとりあえず宿題に手をつけるつもりでいた。

だが、ひとりになってみると、気が変わっていた。

きょう一日は、のんびり解放感を味わって、宿題は明日からにすればいい…、そう思った。

しかし、ひとりになれた解放感にひたっていられたのはわずかな時間だった。

がらんとした家のなかにひとりいると、おもいがけず、さびしくなった。

わずらわしい家族がいない状態はどんなにさっぱりするだろうと、あんなに望んでいたはずなのに。

中学に入ってから仲よくなった西東さくらの顔が浮かんだが、数日前から、さくらもやはり家族と旅行に出ているはずだった。

なつみは、いつもは姉と二人で寝ている2階の4畳半に敷いたままだった自分の布団を、部屋の空きスペースの真ん中にずらした。

3人の子の机は父親の手作りで市販のものよりだいぶ小さいが、それでも4畳半に三人の机を並べると、二人分の布団を敷くだけのスペースはなかった。だからいつもは二人分の布団のそれぞれ反対側の端を折って敷いて寝ている。

大輝は、寝るときは、隣の6畳間に、両親と布団を並べている。

端を折らずに敷いた布団になつみは仰向けに寝て、ささやかな解放感を味わった。

(早くこの家を出たい…)

古びた天井板を見上げていると、小学生のころから願い続けているその思いが、なつみのこころをいっぱいにした。

 

二度寝するつもりで横になって目をつぶったが、眠れなかった。

なつみは起き上がると、自分用の本棚から、何度か読みかえした文庫本の「赤毛のアン」シリーズの一冊をもってきて布団にもどり、読みはじめた。

負けずぎらいで繊細でまっすぐな性格のアンが、悩みながらも人生の障害をのりこえていくものがたりの世界に入り込むと、しばらくして、なつみにようやくおだやかな眠りがおとずれた。

 

電話の音に目が覚めた。

半身を起こすと、パジャマが汗で背中に張りついている。

早朝、涼しかった部屋の空気は、むっとする暑さにかわっていた。
立ち上がって、壁の時計を見た。9時前だった。

いったい誰からだろう、めんどうな電話じゃないといいけど、そうおもいながら電話に出た。

「はい、古沢です」

「あ、なつみちゃんね?」

母の姉・伯母の海渡恵子だった。

「お母さんいる?」

「いえ、千葉に行ってます」

「あ、そっか…きょうだったのね。あら。あんたは行かなかったの?」

「ええ、ちょっと…体調が…」

「…そうなんだ。じゃなにか持ってってあげようか?」

「あ、それほど悪いわけじゃなくて…」

「ははぁ、仮病? 行きたくなかったんでしょ」

そういって小さく笑った。

なつみは答えに困ってだまっていた。

 

母より三つ上の伯母は、いちど結婚したものの独身にもどり、いまは会社に勤めながら板橋の古い1LDKの分譲マンションにひとりで住んでいる。

1LDKといっても、45平米あるので、なつみら家族が5人で住んでいる安普請の狭い二階家より広くのびのびして感じる明るい部屋だった。

母や萌や大輝といっしょに行ったことはあるが、なつみひとりで行ったことはない。

なつみは、伯母の部屋で二人きりになるのは、気づまりな気がしてためらわれた。

「……」

電話のむこうで伯母も、黙っている。

なつみが、自分からなにかいわなくちゃいけないかとおもいはじめたとき、

「……なつみちゃん、あんた、自分の父親がどこのだれだか知りたくない」

「え!……伯母さん、知ってるんですか?」

「そりゃ、知ってるわ。だって、鈴城さんとの後始末であいだに立ったのは、あたしだったんだから」

 

 

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