ほんとうの父

家族
注文を取りにきた中年の女店員が去ると、恵子は折りたたんだ一枚の紙をバッグからとりだし…
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ほんとうの父

恵子は折りたたんだ一枚の紙をバッグからとりだし、ひろげて、なつみの前に置いた

 

自分の実父が、姉や弟とはちがうと知ってから、なつみは、実父についてびたび想像した。

名前はなんというのか?
仕事はなにをしてるんだろう?
どこに住んでいるのか?

 

鏡に向かい、映った自分の顔から母の部分をさし引いて残った部分から、父の顔を想像してみようとした…。

見たことのない実父のイメージを、なんとかして手に入れたかった。

 

今朝、伯母は、電話で、父の姓が「すずむら」だと教えてくれた。
そして、実父と母とのいきさつと自分が生まれた経緯についても知っていて、なつみに教えてくれるという。

 

 

伯母のはなし

伯母の海渡恵子とは、近所のファミレスで会った。

昼には早い時間だったが、ランチをとろうと伯母がいった。

注文を取りにきた中年の女店員が去ると、
恵子は折りたたんだ一枚の紙をバッグからとりだし、指先でひろげて、なつみの前に置いた。細かい花のデザインのプラチナのリングが、さりげなく手入れのされた伯母の人差し指の美しさをひきたてている。

なつみは、ふと、伯母にとって妹である母の、節が目だつ荒れた指をおもいうかべた。

 

折りめのついたA4のコピー用紙は、古びて灰色がかっていた。

右寄りの部分に縦に2行、名前と住所が並んでいる。

なつみはコピー用紙をとり上げた。

 

鈴代圭二。

…これが、…自分のほんとうの父の名…。

住所は新宿区だった。

同じ東京に…、自分の実の父が住んでいる…。

 

現実とおもえないほど遠かった父が、とつぜん自分のすぐそばに、具体的な名と住所で、現実のものとなっていた。

鈴代圭二…。

初めて見る父の名。電話で伯母はたしか「すずしろ」といった…。

わたしの父の名は、すずしろけいじ。

なつみが黙っているので、読めないのかと思ったのか伯母は、

「スズシロ、って読むの。すずしろけいじ。ちょっと珍しい苗字よね」といった。

 

なつみは、うわの空で伯母にうなずきかえし(すずしろけいじ……。

そうか、これが自分の父の名なのか…)とおもった。
だが、実感がわかなかった。

見たこともない父は、あいかわらず灰色の影でしかった。

どんなひとなんだろう…。

コピーから顔を上げ、訊いた。
「あのう…、写真は、ないんですか?」

なぜか、(父の写真)とはいえなかった。

 

伯母は黙って首を振った。

 

「…どんな感じの人?」

なつみの問いに恵子は、

「そうねえ…」遠い記憶をたしかめるように視線を宙に置き、

「うん、ごく普通っていうか…、

中肉中背で、顔も、道ですれちがっても印象が残らないという感じ。ただ、よく見るとあんがい整った目鼻立ちなんだ、って思ったのを覚えてるけどね」

 

それから、なつみの顔を無遠慮にじろじろと見ながら、

「あんたは、両親の顔だちを、ちょうど半分ずつもらったみたいね。
朋美は美人じゃないけど、若いころはけっこう男受けのする顔だったのよ」

なつみの顔をあらためて吟味するような目で眺めながら、恵子はいった。

なつみは、無遠慮な伯母の目より、伯母が口にした「両親」ということばに気を取られていた。

(両親…)なつみは、よく知っているはずのこのことばを、まるで、初めて聞いた意味の分からないことばのように頭の中で反芻した。

〈古沢明美と博〉ではない。〈古沢明美と鈴代圭二〉が自分の両親なのだ。

すずしろけいじ。

初めて知った父の名。自分には、その父に似たところがあるという。
ふしぎな感じがした。

__そうか。

わたしの両親は古沢明美と鈴代圭二なんだ…

自分にいい聞かせるように胸の中でいってみる。

しかし、実感はわかなかった。

「母とは…どうして知りあったんですか?」
父親と母…とは、いえなかった。

ちょっと間があった。
「まあ、博さんが家を出てほかのひとと暮らしてたことがあってね。萌が3歳のころだった。
朋美は生活のためにスナックにつとめたの。わたしはそのころ結婚してたけど、まだ、母さんも生きてたし、夜は朋美が帰るまで、母さんが萌のめんどう見てね。

客として来てた鈴代さんと、そのスナックで知りあったの。

 

「鈴代さん、お兄さんといっしょに、おじいさんの代からの土木関係の会社をやってるらしくて、お金には困ってなかったわ」恵子がいった。

 

「あんたを妊娠した時、鈴代さんにいったら、最初は、信じてくれなくってね。『そりゃボクの子じゃない』って、けんもほろろにいったのよ。

鈴代さん、そのころ結婚して7、8年たってたのに、奥さんとの間に子どもはなかったの。

病院で、子どもはできにくいからだだから、それなりの治療が必要だといわれていたらしいのね。
だから、自分の子のはずがないって。
てっきり、お金目当てで明美がそんなうそついてるんだとおもったのね。

ところがね、おかしなことに、あんたの妊娠のすぐあと、奥さんが妊娠したのがわかったの。まだ、病院での治療が始まる前だったそうよ。皮肉よね。

でも、それで、ようやく 、あんたのことも自分の子らしいと納得して…。

まあ、その後いろいろあって、結局、子どもは…」
ーーあんたのことよーーと念を押すように言い足し、

「認知しない代わりに慰謝料としてお金を出すから、今後いっさい連絡はしないでくれっていう約束で、朋美があんたをひとりで産んで育てるってことで、別れたの。

奥さんとの間に子どもが生まれるのに、あんたを認知するわけにいかなかったのよね。

そのころ、博さんがちょうど女と別れて明美とよりをもどして、あんたを二人の間の子としてとどけたってわけ」

 

「いっとくけど、父親をたずねたりしないでよ」

伯母の恵子は、ひととおり話した後で、真顔になってなつみにくぎを刺した。
それから、

「わたし、ずっとなつみちゃんが自分の実の父の素性を知らないなんて、つらいだろうとおもってたの。
だけど、母親の明美から、なつみに父親の素性は話さないで、って口止めされてたから。

なつみちゃんはバカなことをする子じゃないから大丈夫っていったんだけど。
(これはわたしのうちの問題だから、姉さんは余計なことしないで!)って。

まあ、明美としては、文句もいわず自分らの子としてあんたを籍に入れてくれた次男さんに気をつかってるんだろうけどね」

伯母は、最後に、
「とりあえず、あんたが独り立ちするまでは、わたしから訊いたってばらさないで」
表情をあらため、くぎを刺した。

支払いを済ませる恵子を待って店の外に出ると、3時過ぎのうだるような暑熱がふたりをおそった。

 

これから図書館に行くというなつみに、「なにかあったら電話しなさいね」といって、恵子はなつみにに背を向けた。

ぽっちゃりと肉付きのいい背を見せ、しっかりした足取りで去っていく伯母をすこしの間見送ってから、なつみは図書館に向かった。

(クーラー代がかさむから、できるだけ図書館に行って)

出かける前に母からそういわれていた。だが、いわれるまでもなく、なつみは、あの狭くるしい家にひとりでいたくなかった。

ひとりになればすこしは広く感じるかと思った家は、やっぱり狭かったし、おまけに思いがけず、きみょうな孤独感ばかりきわだって居心地が悪いのを、今朝、体験済みだった。

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