なつみとさくら、老不動産屋とであう

なつみとさくらふたり
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部屋探し


路上に、かげろうが揺れている。

みどりの風がそよ吹くはずの5月下旬だというのに、出番をまちがえて8月はじめの太陽がでてきたみたいだった。

30度をこす暑い日が、数日前からつづいていた。地球温暖化の影響なのだろうか。

そんな、頭上から、ようしゃなく照りつける真夏みたいな日ざしの下を、古沢なつみと西東さくらは、それぞれすこしデザインのちがう黒いレースの日傘を並べて、駒込から本郷通りを王子に向かって歩いていた。

やがて、田端からの道とぶつかる歩道橋のまたぐ三叉路を道なりに左手に曲がると、ヨーロッパの古い邸宅の敷地入り口にあるような鋳鉄製にみえる門扉の前に出た。

バラと洋館で知られる旧古河庭園の入り口だった。

歳月を経た門扉のむこうを透かし見て、なつみは、小学生のとき、遠足できたことをおもいだした。
あのときより門扉が低くみえるのは、こちらの身長が伸びたせいだろう。

(中はあのころと変わっているのかな…)

一人で遠出のできなかったあのころ、遠足は数少ないたのしみだった。
あの日見たばらの庭は、この暑さでもたくさんのばらを咲かせているのだろうか。


あのときは小学3年生だったが、さくらと、いまみたいに親しくなるとは思いもしなかった。

4年になってクラスがいっしょになるまでは、ことばを交わしたこともなく、同じ学校の同じ学年らしいくらいの認識しかなかったのだ。

 

歩道の道路側には、駒込の途中から花の植え込みがつづいていたが、ところどころ個人が思い思いに丹精しているような花もあったのが、古川庭園前は業者が選んで植えたらしい季節の花が整然と並んで咲いている。

古川庭園前をすぎると、本郷通りのむこう側に小さな神社らしいものが見え、神社の横に古びた素朴なたたずまいの菓子屋が見える。

通りはかなり先まで見通せるけれど、左右に不動産屋は、なさそうだった。


お気に入りのレモンイエローのTシャツは背中にはりつき、かかとが高めのサンダル履きの足はむくんで、ベルトが食いこみ、痛い。

おなかもすいてきた。


なつみは、背負った小さなリュックのポケットからスマホをとりだして時間を見た。あと10分ほどで正午だった。

最初に東大前の不動産屋を覗いたのが10時過ぎ。

それから駒込まで、しらみつぶしに不動産屋をのぞきながら歩いてきた。

そしていま、なつみの手にした東京都の地図では、地下鉄の西ケ原駅の近くにきているらしい。


おなかすかない? 

すこし遅れたさくらをふりかえって、なつみが声をかけようとしたとき、さくらが声を上げた。

「ア! 不動産屋…」 
「え? どこ」

見たところ通りのむこうにも、こちら側にも、不動産屋らしい看板はみえない。


「ほら、あそこ」

なつみは、さくらが指さす先をみた。

なつみが、たったいま通りすぎた左手のちいさな7階建てのマンションの右手に伸びた道は、左へすこしまがっているせいでその奥が見えにくくなっていた。

よくみると、さくらのいうとおり、たしかに、マンションに隠れるようにして不動産屋らしい看板が見えた。

 

八幡不動産

マンションに向かって右手のゆるい上り坂を道なりに行き、ふたりは不動産屋の前に立った。

グレーの古びたモルタル3階建ての1階だった。
金属フレームの引き戸には、上部の透明のガラス中央部分に白い塗料で「八幡不動産」と書かれている。

建物は古いけれど、手入れのいきとどいた印象の店だった。
前面ガラス戸には、たいていの不動産屋同様、不動産情報がところ狭しと貼り出されている。

貼り出された不動産情報をなつみとさくらは、すばやく見ていった。
これまでの店と重複している物件もあったから、時間はかからない。
どうせ、変わり映えしない情報にちがいない。

なつみとしては、この店をさっさときりあげて、さくらに昼食休憩を提案するつもりだった。

見はじめて間もなく、なつみの予想が当たっているのがわかった。

 


本郷から南北線の駅に沿って下ってきた。ここまでくれば、相場がさがるのではないかと期待していたが、どうやら甘かったらしい。

東京都を出て埼玉県にはいれば、部屋代はすこし安くなるかもしれないが、二人の勤務先は飯田橋から徒歩7分の場所の和食店で、交通費が一定額までしか出ない。

それに、若い二人としては、できれば東京都内に住みたいという思いもつよい。

なんといったって〈世界の魔都東京〉なのだ。

TOKYOといってわかる外人は多いが、SAITAMAといってわかる外人はまずいない。

数年前埼玉にムーミンのテーマパーク「ムーミンバレーパーク」ができたから、もしかしたらフィンランド人の間では、知られているかもしれないが…。

 

ふたりが貼り出された情報を見ているガラス戸の向こうに人影が立ち、30センチほどガラス戸が引きあけられて、渋紙色の男の顔がのぞいて、二人に声をかけた。

「よかったら、中にもありますよ」


70代?いや、80代だろうか。若い二人には、60歳以上の老人の年齢は判別がむずかしい。しかも、白いマスクで顔の半分が隠れているのだ。


老人はたいてい小柄だが、とりわけ背の低い老人だった。

165センチのさくらはもちろん、159.5センチと、21歳の今日まで、ついに160センチになれなかったのが心残りのなつみから見ても、ひどく小さい。

もしかしたら150センチないのかもしれない。

しかし、その目には、老人とは思えないしっかりものらしいぬけめのなさがあった。

不動産屋を、どうやらほぼ一人で切り盛りしてるのだ。当然かもしれない。
リタイアしてのんびり老後をたのしんでる、ご老体ではないのだ。

老人からは、かすかに、たばこの匂いがした。


150センチないかもしれない小柄な(ちっちゃい)老人ひとり対160センチ前後の女ふたり。

危険はなさそうだ。
ふたりは中に入ることにした。

外を歩いている間はずしていた、なつみはレモン色、さくらはピンクのマスクをして、店内に入った。

老不動産屋は、ふたりに、こげ茶色のビニールレザーのソファをすすめた。ソファの前には透明のガラスのテーブルがセットになっている。
この応接セットをはじめ、店内全体が、古い映画で見る昭和の不動産屋みたいだった。

かたわらの、古いスチール机の上の、ガラス製の灰皿をさりげなく、すぐ横の棚にどけると、
老人はフチなしの老眼鏡をかけ、分厚いファイルをとりだした。

フチなし眼鏡をかけると、老人はすこし知的で品の良い印象になった。

ふたりから予算と希望の広さを聞き取ると、
手にしたファイルから、写真と見取り図のついた部屋の情報をていねいに選び出し、二人の前のガラステーブルに並べていった。


たしかに、表に張り出してある情報よりは良い条件のものもある。
それでも、ふたりの予算をだいぶ超えている部屋ばかりなのに変わりはなかった。


いま二人が住んでいる部屋は本郷の路地裏にあり、60年も前に学生や独身者用にたてられた古いアパートだった。しかし、古いとはいえ賃貸料は破格だった。

借りたとき、
1年か、数年か決まっていないが、近い将来建て替えが予定されているので、建て替えが決まったら、その時はすぐに立ち退くという条件付きなので安かったのだ。

そして、その期限が9月に迫っていた。

「駅から遠くても、建物が古くたっていいんです」
なつみがいい、さくらもうなずいた。

「そう…」

不動産屋は、しわに埋もれかけた目をいっそう細め、思案のいろをみせながら二人をじろじろと見ている。

ふたりがいごこちわるく感じはじめたとき、

不動産屋は、

「もしかしたら、おたくらなら…お眼鏡にかなうかもしれん」
ぶつぶつとひとりごとをいいながら、こんどはごく薄いファイルを取り出した。

ファイルには3枚の書類がつづられていて、最初の一枚は外観とその内部の写真だった。
タイトルに「王子シェアハウス」とある。

シェアハウスだったら安いかも…、ふたりは真剣な目になったが、一目見て、二人の目から同時に光が消えた。

(こんなの、わたしたちには無理…)

 

外観は洋風のきれいな建物で、内装も、各部屋がホテルのように整っている。それでいて、ホテルのような取りすました色でなく、淡いピンクやクリーム色、淡いパープルなど、各部屋やわらかな色で統一され、しかもその広さはそれぞれ20平米余と広いうえ、シャワーとトイレ付きなのだ

浴槽つきの浴室は、共用なのだろう、別に設けられている。
写真ではどうやらジャグジーがついているようだ。

これじゃ、いくらシェアハウスだって、相当高い賃料にちがいない。

この不動産屋は、いったいどんなつもりでこんな物件をわたしたちふたりに見せたんだろうといぶかりながらも、ふたりは視線が離せず、見ていった。

5部屋のうち埋まっているのは二部屋で「居住中」のシールが貼ってある。

ふたりの視線はその部屋代まできて、釘付けになった。

(うそッ)
信じられなかった。

0(ゼロ)を見落としているのではないかと見直したが、まちがいなかった。
その額は、ふたりにも十分払える額だった。
それどころか、本郷でいま借りている木賃宿みたいな部屋に支払っている額より安いのだ。

数字の打ちまちがいだろうか?

ふたりはこわばった顔を見合わせた。

なつみが、せき込んだ声で不動産屋に聞いた。

「これって、ほんとにこのお部屋代で借りられるんですか?」

まるで、不当な仕打ちをうけたときのような声になっていた。内心、なにか詐欺的な背景があるのかもしれないと考えたのだ。

若い女の子二人とみて、なにかしらだまそうとしているのではないか。


すると、老不動産屋は、なつみの疑いをまるでほめられたと勘ちがいしたみたいにいっしゅん、うれしそうな顔になった。


「そう。ほんとなのよ。その部屋代なの。ほんとなんだが…」

不動産屋はふたりの真剣さに真顔にもどると、腕を組み、首をかしげながら片手でマスクの下の貧相なあご先をつまんだ。

「だが…」のあとのことばをふたりは待った。

いったいなにが「なんだが…」なのか。

「まあ、入れるかどうかは、家主の判断次第ってことなの」

「家主さんの判断次第って・・・、どういうことですか?」
さくらが訊き、なつみもうなずく。

さくらの声は、おもわず詰問するような声音になっている。

「つまりね、家主の気に入らない相手には貸さないってこと」

 

不動産屋のはなし

不動産屋のはなしでは、
王子のシェアハウスの家主・月山香子(つきやまかおるこ)は、亡夫の遺産で莫大な資産を受けつぎ、シェアハウスの近くに9階建てのマンション一棟を持ち、その最上階に住んでいるのだという。

ほかにも、亡夫の残した会社の役員にも名をつらね、
この王子のシェアハウスは、なかば道楽、なかば人助けで建てたのだという。

「人助け…」
「まあ、あなた方が、お眼鏡にかなって、シェアハウスに入れたらわかりますよ」と不動産屋はいった。


そして、二人をがっかりさせるようなことばを、さいごにぽつんと言った。

「これまで、だいぶ紹介したんだが、みんな断られてね」


「みんな? でも、二部屋埋まってますよね」
「だから、それが、月山さんの人助けなの」

「……」

どうしてそれがボランティアなのか聞きかけるふたりを手でとめて、


「いま行って大丈夫か、連絡するからね」と、スマホを手にした。

スマホでのやり取りを終えると、

「いいそうですよ」


ふたりにむかっていい、ファイルのコピーと、月山という家主の住所と電話のメモを渡しながら、

「まあ、足代はもらえるから。ダメもとだとおもって…」と、すこし慰めるようにことばをつけくわえた。

 

 

八幡不動産のある道から本郷通りへ出たところで、ふたりは足を止め、頭を寄せて、あらためてじっくりコピーを見た。

すこしボケたカラーコピーだが、見れば見るほどすてきなシェアハウスだった。


こんなシェアハウスに、もし住めるとしたら…。

なつみとさくらの脳裏に、ここに住んでいる自分たちのすがたが思い浮かび、

(どうしたって、ここに入りたい…)ふたりは焦燥に似た強いおもいにとらわれ、すこしのあいだその場から動けなかった。

 

やがてふたりは、スイッチが入ったように、王子へ向かって歩きだした。

 

 

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